今回は山口市大殿大路(おおとのおおじ)の観光スポット②として、十朋亭維新館(じっぽうてい いしんかん)をご紹介します。
十朋亭維新館は、住所としては下竪小路(しもたてこうじ)になるのですが、道を挟んだお向かいですので大殿大路の観光スポットとしてまとめています。
大内義隆の菩提寺、紅葉で有名な瑞雲山龍福寺からは徒歩5分ほどです。
十朋亭維新館の基本情報
住所 | 山口県山口市下竪小路(しもたてこうじ)112番地 |
電話番号 | 083-902-1688 |
休館日 | 火曜日(祝日の場合翌日)/年末年始(12月29日から1月3日) |
営業時間 | 9:00~17:00 |
入館料 | 無料(本館展示室は有料) |
本館展示室 | 小・中学生100円/高校生以上200円 |
駐車場 | 八坂神社前観光用駐車場に20台分の無料駐車場有(令和3年4月末頃まで、整備工事の為利用不可) |
HP | https://jippotei-ishinkan.jp/ |
SNS | https://www.facebook.com/jippotei0929/ |
備考 | 館内の十朋亭は山口市指定史跡です。 |
所蔵品整理等の理由で、上記以外にも休館などがありますので、ご訪問前にHPやフェイスブックでご確認お願い致します。
十朋亭維新館はJR山口線の上山口駅より歩いて10分ほど、竪小路バス停より徒歩6分ほどです。
十朋亭維新館は、ベーグル専門店TSUKINOWAさんから徒歩1分になります。
ベーグルやマフィンの販売の他にカフェでイートインもできますので、散策に疲れたら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
幕末の志士たちの息吹を感じる場所
↑高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞、伊藤博文。
幕末ファンにはたまらんメンバー……!!
十朋亭維新館は、江戸時代より醤油の製造を営んできた萬代(ばんだい)家の敷地内にある江戸時代後期の建造物と、歴史資料を展示している本館になります。
その中でも山口市の指定史跡となっている十朋亭が、高杉晋作たち幕末の志士たちが利用した建物です(無料で入れます)。
この場所で志士たちが日本の未来を語っていたのかと想像すると、ワクワクが止まらないこと請け合いです。
十朋亭の他に、吉田松陰のお兄さんである杉民治が私塾を開いていた杉私塾や、萬代家の主屋も無料で入ることができます。
ほぼほぼ無料で入れますし、十朋亭維新館のスタッフさんたちはとても丁寧な接客をしてくださるので、楽しく観覧することができますよ。庭園も美しく整備されています。
幕末の山口県(長州藩)について
戦国時代を経て、徳川家康が開いた江戸幕府(1603~1867)。
アメリカ海軍が浦賀にやってきて、開国を迫ったことから始まったとされるのがいわゆる「幕末」(江戸幕府の末期)です。
それまでの幕藩体制が根底から揺らぎ、新しい国の体制を目指したのが幕末の志士たちでした。
中でも長州藩は、薩長土肥(薩摩/長州/土佐/肥前)の一つとして明治維新(近代化改革)を進めたのです。
個人的には佐幕派(幕府を補佐しようとする考えの一派)も好きです。現代から見れば時代遅れかも知れないけど、国を愛して戦う気持ちは倒幕派も佐幕派も変わりないと思うんですよね。
初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣。日本の近代化、立憲政治を進めた人物。
現山口県光市の出身。松下村塾に学び、英国留学している(いわゆる長州ファイブの一人)。
また岩倉使節団の一員として、大久保利通や木戸孝允(桂小五郎)らと欧米各国を訪れている。
津田塾大学を開いた津田梅子とも親交があり、日本における女子教育の必要性にも理解があった。
当時禁止されていたふぐ料理を気に入って、山口県知事に勧めたのは有名な話である。ちなみに山口県では「ふぐ」ではなく「ふく」と呼ぶ。
現山口県萩市の出身。柳生新陰流免許皆伝。明倫館→松下村塾→昌平坂学問所など。
身分に関係ない長州の常備軍「奇兵隊」の創立者。下関戦争を経て、幕府による長州征伐前に福岡の平尾山荘に逃れていたことがある。
辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」(諸説あり)。
また都都逸の「三千世界の鴉を殺し、主と添寝がしてみたい」を作ったのも晋作という説が有力です。
坂本龍馬が持っていた銃(スミス&ウェッソン モデル2 アーミー32口径)は晋作が贈ったものです。
コメント